2019年9月14日土曜日

マルツェジーネ ガルダ湖 vol.1 ゲーテの心を動かした街が、今もドイツ人を引きつける

ガルダ湖はイタリアの北部にあり、ベローナからは約30分から一時間、ヴェネツィア、ミラノからも2〜3時間弱の距離にある、イタリア最大の湖。北、東と西は急峻な崖に囲まれ、壮大な景色が広がる。アルプスからの氷河が大地を削り、その窪みが湖になった。東西の山麓は東はオリーブの里、西はレモンの里といわれている。
今回、僕たちが訪れたマルツェジーネは東に位置し、急峻なバルト山の麓にある。

街はランゴバルド族により建設され、その後フランク族の支配下に入った。中世、この一帯を支配したのはベローナを拠点にしたデラ-スカラ家。デラ-スカラ家は幾つかの城を湖畔に持っていた。そして、マルツェジーネのシルエットを決定づけることになるスカリジェロ城の改築を積極的に押進めた。
小さな街だけど、多くの著名人が街を訪れている。その中でも特に有名なのがゲーテだろう。
ゲーテは1786年9月、ガルダ湖の北、トルボレから船に乗って、リモーネ(今はレモンの里になっています)を経由して南下。向かい風に押し戻され、この街に停泊することになった。偶然の出来事であったらしいが、マルツェジーネの風景に魅了され、幾つかのスケッチを残している。ゲーテがスカリジェロ城をスケッチしていた時のことである。多くの住人が、この外人はここで何をしているんだ?と集まって来る。人々の通報により警吏がやってきて、ゲーテに尋問をはじめた。
「なんで、この場所をスケッチしていたのだ?」
「この城を廃墟だと思ってスケッチしていたんですよ、問題あります?」
とゲーテ。
「廃墟というなら、なんでそんな意味のないものをスケッチしていたんだ?」
と詰問する警吏。
「でも、バーバリア人に廃墟にされたローマという地を、今でも多くの人が訪問してるじゃぁないですか」


この城は当時、ヴェネツィア共和国とオーストリアの境界となっていたので、オーストリアから派遣されたスパイと勘ぐられたのだった。しかし、後からやってきた警吏の上司がゲーテの故郷、フランクフルトに滞在した経験があること、ゲーテの教養の深さに感銘を受けたこと、そしてゲーテが彼の質問に丁寧に対応したことなどから、
「説明の通り、教養深いこの人は、彼の見識を広げるための旅行をしている文化人に間違いないだろう。彼が故郷に帰ったら、この美しいマルツェジーネをドイツ人に宣伝してくれるにちがいない」
といって、ゲーテに、マルツェジーネでの自由な行動を許した。

このやり取りを見守っていた観衆や、上司の人柄、素晴らしい風景、そしてピクチャレスクな城にゲーテはとても感銘を受けたようだ。そして上記のいきさつは「イタリア旅行」に記述され、現在も僕たちが目にする事ができ、今でもドイツ人をこの地に惹き付けているのだから、歴史というのは面白い。
その他にも、1909年にはカフカが訪問、画家クリムトはこの地を訪れ、幾つかの絵画を残している。

坂道の多い街並。坂道を下ると、湖畔に出る。港や小舟を係留する小さな入り江。






街から北、もしくは南へ湖畔に沿って、遊歩道が伸びている。夕凪の中、アイスを食べながらそぞろ歩きしてもいい。僕たちは、毎日、夕闇が迫るまで泳ぎ、落日の中、街に帰った。


この街並みが他のヨーロッパの街に比べて特に美しい、という訳ではない。しかし、街を包み込む風景が素晴らしい。そして、その風景の中で、街の佇まいが輝きを増している。

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