2019年9月24日火曜日

ヴァイマール 近代建築の揺籃期 ヘンリ-ファン-デ-ヴェルデ

今年、2019年はバウハウス創設から100周年。バウハウスといえば建築家であり初代校長のグロピウスの設計したデッサウの校舎が有名だが、バウハウスはヴァイマールで誕生し、1925年にデッサウに移転するまでの6年間はヴァイマールを本拠地としていた。
自分が建築の勉強を始めた頃、デッサウの校舎のイメージが強すぎて、初期バウハウスがヴァイマールを拠点としていた、ということを知らなかった。
というわけで、今回は、そろそろ自分の生活する国、ドイツの都市について書きたいという気持ちもあり、どこにしようかなーと考えを巡らせた結果、バウハウス100年を個人的に記念して、ヴァイマールを取り上げることにしました(いずれミュンヘンも登場する予定)。



本稿では、バウハウスになる前の学校=芸術工芸学校、その学校の校長であり、かつ学校校舎を設計したヘンリ-ファン-デ-ヴェルデ、彼がワイマールに残した建築、そして初期バウハウスが校内に残した作品を紹介します。

ヘンリ-ファン-デ-ヴェルデ Henry van de Velde 
ベルギー出身のこの建築家は、画家としてキャリアをスタートさせた。しかし、生活を取り囲む物の造形に不満を覚え、身の回りの物全て、つまり食器のデザインから住宅までをも自分で設計してしまい、それをキッカケとして建築家になったという。
彼のデザインは、アート&クラフト運動(イギリス、ウィリアム-モリスを中心にした芸術工芸運動)と日本の工芸デザインから強い影響を受け、生活を囲うグッズの造形の意義を探求し、それらに正しい造形(フォルム)を与えようと試みた。彼のスタイルはアールヌーボーに属し、またバウハウスの校長にグロピウスを推したことから、しばしばアールヌーボーから近代建築への橋渡しをした、と記述されることもある。

バウハウス校舎(旧芸術工芸学校)
1902年、ファン-デ-ヴェルデは工芸アドバイザーとしてワイマールへ招聘され、1907年には芸術工芸学校の校長に就任。その傍ら、二棟からなる南、西側学校校舎(1904-1911年)を自ずから設計している。この校舎は、現在の建築学校「バウハウス」の一部であり、世界遺産にも登録され、見学することができる。

建設当初の写真、南側校舎
南側校舎、ひさし部分のアトリエ窓(壁から屋根にかけてのガラス部分)の造形が面白い。今、このデザインをしようとすると、雨樋と縦樋をどう計画するか、という話になってくる。この建物の場合はつけ柱の横に縦樋がそれぞれ分割されたファサードごとについている(下の写真参照)。うーん、どうなんだろう、と考えてしまうが、建築関係者以外にはあんまり面白くもない話、細かくて申し訳ない。


南側校舎内部

Herbert Bayer, 1923
Herbert Bayer, 1923
南校舎の中には、バウハウス時代にHerbert Bayerによって製作された壁画がある。一方、L字型の西側校舎では、オスカーシュレンマーの壁画を見学することができる(たしか被災し、復元されたものだったという記憶があるが、定かではない)。

西側校舎
西側校舎内部
オスカー•シュレンマーの壁画がある階段

1919年、ファン-デ-ヴェルデから推薦を受けたグロピウスが校長としてバウハウスを開校。その際、上記で紹介した、ファン-デ-ヴェルデ設計の芸術工芸学校の校舎、工房、工具なども、そのままバウハウスに引き継がれた。

南側校舎の中には、1923年に開催された展覧会の際にグロピウスによって設計された、かの有名な“グロピウスの部屋”がある。
ご存知のように、その後、バウハウスはデッサウ、ベルリンへと移転するが、現在のバウハウスはワイマールの地へ戻り、前述のように、引き続きファン-デ-ヴェルデの校舎もその一部として使用されている。
この照明は本当にかっこいい。ちなみに、椅子はチョー座りにくいらしい。
校舎内の見学について
校舎の内部はある程度、自由に見て回る事ができます。
グロピウスの校長室は、Bauhaus Walkというツアーでのみ見学可能。
ツアーチケットは、ワイマールの観光案内所、バウハウスの学校敷地内にあるインフォメーションセンター、もしくはオンラインで購入可能。
見学できる曜日と時間が限定されているので注意。(以下2019年現在)
Bauhaus Walk
4月〜10月、水、金、土曜日。2時から
11月〜3月、金、土。2時から
ロングトリップツアー、大人12ユーロ、学生8ユーロ
ショートトリップツアー,大人7ユーロ、学生5ユーロ
https://www.uni-weimar.de/en/university/profile/bauhausatelier/bauhaus-walk/walk-times-and-prices/ 


ニーチェ資料館 Nietzsche-Archiv
ニーチェが晩年を過ごし、1900年8月25日にこの家で他界した。彼の死後、1902年からヘンリ-ファン-デ-ヴェルデによってインテリアが改装された。“全てをデザインする男”の異名を持つファン-デ-ヴェルデは、照明、花瓶のデザインまで手がけている。

玄関とその脇窓の木質パネル部分が、統一的にデザインされてる。これはちょっと、グッとくるデザイン、というか考え方が面白い。

正しい造形とは、何か。多分に時代的で、かつ恣意的に見えるニーチェハウスのドアノブを見るたびに、客観的な正しい造形というものを創る不可能性に想いを馳せてしまう。

内部はガイドツアーでのみ閲覧可能。写真撮影は2012年当時は許されていなかった。


バウハウスはセンセーショナルに突然、歴史に登場し、あっという間に消えて行ったようなイメージがあるけれど、そこに至までには時代を反映したバックグラウンドがちゃんとあるんですね。大戦最中の1917年、ファン-デ-ヴェルデはバウハウスへの道を踏み固めた後、外国人排斥の気風を受けて、ドイツを去ります。その時点で既に多くのことを成し遂げていましたが、全てをデザインする男にとっては、不完全燃焼だったのではないでしょうか。ドイツを去る彼の胸に去来したものは何だったのか、その後のバウハウスの活躍を見て、何を思ったのか。彼の作品群を見学しながら、その胸の内に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。
ニーチェ資料館見学について3月後半から:火〜日曜11時から17時
10月後半から:閉館
大人3,5ユーロ、学生1ユーロ
ニーチェ資料館のチケットはこちらから

 バウハウス100周年 2019年はバウハウス100周年。様々なイベントが目白押し。イベント詳細はこちらでチェック。
bauhaus100
ヴァイマールの観光スポット ゲーテ、シラーハウス
ハウス-アム-ホルン
バウハウスミュージアム
アンペルマンショップ
ヴァイマール観光(独)
ヴァイマールへのアクセス 
電車
ベルリン、デッサウ、ドレスデンから2時間半、ライプツィッヒから1時間


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